63日目

種山高原星座の森キャンプ場〜道の駅「大谷海岸



昨夜、そろそろ寝ようと思ったらキャンプ場に車が入ってきた。時刻は9時過ぎで、はじめは管理人かな?と思った。しかしどうも様子が違う。設備をあちこち物色している。どうも、オートキャンパーのようだ。
そして、オートキャンパーは当然のようにバーベキュー台を出して宴会開始。
いやいやいやいや、もう夜だよ、寝ようよ!というわけでなかなか寝付けず朝を迎えた。

今日から太平洋側へ抜ける。昨日はかなり登ったので、今日は基本的に下りである。しかし、太平洋側に近づくにつれ、道の様子がだんだんと変わってくる。
基本的に道路は補修中で、片側交互通行である。トラックやボランティアを乗せたバスに混じり、東へ向かう。



そして、太平洋側へ抜けた。




私がここに来たのは一年前、私がまだ在職中だった頃だ。当時の私は自衛官だった。"あの時"、あの場所に行った一人。

一年という歳月は短いようで長い。だけど、ここは何も変わっていなかった。

瓦礫は撤去されているが、撤去された後に残ったのは何もない大地。そして、なんとか持ちこたえた建物が、当時の惨劇をそのまま伝えている。


陸前高田の病院は、あのときのまま残っている。それが見えたとき、自然とペダルが止まった。



ここに来た理由。それは一番はじめにここに派遣されたから。あれから何が変わったか、それを見ておきたかったからだ。
けど、何も変わっていないと言う現実。世間ではすっかり東北のことは過去の物とされた。完全に風化した、と言って差し支えないだろう。けど、ここはまだあの時のままなのだ。

今回の旅の目的に、過去の清算がある。在職中、復興作業は途中で切り上げられた。自衛隊の仕事は復興ではない、防衛だからだ。だが、復興を待たずしてこの地を離れたのには悔いは残る。だから、ちゃんと見届けようと思った。

ここに来れば自分でも何かできると思った。だけど、ここはあの時のまま、とても何かできる状態じゃなかった。

ボランティアに参加する?それもいいだろう。だけど、途中で切り上げて、最後まで見届けることはできないだろう。
もしできるならここに住んで、また前のような町に戻るまで手伝いたかった。だけど、帰らないと行けない。前にも書いたかもしれないが、この旅は「最後の親不孝」だ。ずっと地元を離れて働いていたが、親に何かあったとき、駆けつけることができなかったのを後悔した。祖母が死んだとき、葬式にも出られないのに後悔した。今でも後悔している。親も体調が悪くなりがちで、側にいてやりたいのだ。
いつも自分勝手で、いつも親に迷惑ばかりかけていた自分も、恩返しがしたい。それが分かる年になった。だから、仕事を辞めた。国を守るのもいいが、家族を守りたい。震災を通じ、そう確信したのだ。

そして、再びここに戻ってきて、その思いを思い出した。急に、親の顔が浮かぶ。この旅が始まって、初めてのホームシックだ。







旅を、続けよう。




それが最善の選択なのか分からない。少しは力になろうと思って寄ったのに、結局東北のために何もできていない。しかしここで変に手伝っても、決して私の心が晴れることはない。復興にはまだ時間がかかる。福岡からそれを陰ながら応援するしかない。
でも、私は東北を忘れない。綺麗事だと思われようとどう言われようとかまわない。だけど、この気持ちは本物だ。


ゆっくりと南下している途中、自転車の鍵を落としたのに気づいた。どこで落としたんだろうか?来た道を引き返すこと10キロ。1000円程度の鍵を、なぜ取りに戻ったのか。よく分からない。普通1キロ戻って無ければ諦めるのに、このときは10キロも戻ったのだから。
そしてどんな因果か、鍵が落ちていたのはあの病院の前だった。引き留めようとしているのか、それとも…。


その後気仙沼まで移動する。今日はここで宿を取ろうと思ったが、電話するがどこも満室。仕方なく道の駅で野宿することに決める。

いろいろと寄り道をしていたので野宿を決めた頃には夕日が沈みだしていた。夜の国道を南下する。

しかし恐ろしく交通量が多い。喜ぶべきか、悲しむべきか。

道の駅に到着…と言いたいが、思っていたのとはだいぶ違った。いや、ある意味予想通りだった。海岸付近の建物はほとんど仮設のプレハブ小屋で、道の駅も例に漏れずプレハブ小屋だった。
この付近に野宿できそうな場所もないし、ここに決めるしかなかった。店員の方に許可を得ようと話しかけると、珍しくないのか二つ返事で承諾してくれた。
少し店員の人と話を交わす。どこか諦めと悲しさが感じられ、それを元気に話すから余計に切なくなる。だけど、優しくしてもらい、寝やすいようにと道の駅の照明を落としていった。


一人になった道の駅。今日の行動は正しかったのか?少し考えるが、考えても仕方ない。今日が積み重なって人生になる。最終的に人生が楽しめればそれでいい。今日の結果がいつになるか分からないが、もしマイナスとなっても、別のところでプラスにすればいい。むしろ、今日のことがプラスとなるかもしれない。

もやもやした気持ちの中、テントを張り、寝袋に潜り込む。不思議とこの日はすぐに寝付くことができたのだった。