24日目

旅とは何なのか。なぜ旅をするのか。
その答えを持たないまま出発したが、そろそろ明確な答えが必要なのかもしれない。
旅は千差万別、十人十色。人には人の旅があって、1つとして同じ旅はない。

私の旅とは何なのか。なぜ答えを持たずに旅に出ることができたのか。
「自分と向き合う」なんて本の中の表現としか思っていなかったが、いざそういう状況になると、その難しさに驚く。難しいことは考えない(考えたくない)主義だが、今回ばかりは逃げられそうにない。

とりあえず哲学するために旅に出たわけじゃない。もっとシンプルに楽しむために出たはず。
いろいろ考えたが、とりあえず今日は寝よう。朝起きれば、道端に答えが転がっているかもしれませんしね。



昨夜の風はすごかった。北防波堤ドームではペグは打てなかったが、代わりにバッグを隅に置いていた。しかし、それでも朝起きるとテントはだいぶだいぶ流されていた。もちろん熟睡できるわけがなかった。突風の旅起こされるのだから。
朝6時。テントの外を見ると、雨はだいぶ止んだようだ。


「行けてしまうな…」


心のどこかで土砂降りを期待していた。土砂降りなら走れない。いや、走らなくていい。そう願っていた。
どうにもやる気が起きない。今日も向かい風だ。天気も悪くなるだろう。気分は重くなるばかりだ。
ずるずると出発の時間を遅らせ、テントを出たときには私以外のテントは残っていなかった。そうだ、ここはキャンプ場じゃない。早く撤収しないと。
テントを撤収し、とりあえず最寄りのセイコーマートへ。曇り空に包まれた稚内は、とても寒かった。ホットの缶コーヒーがとてもありがたい。
北東の空を見上げると、だんだんと黒い雲が広がっていた。あそこに行くのかと思うと益々気が重くなる。
とりあえず朝食だ。途中に日本最北端のマクドナルドがあるらしい。二つの目的があってそこで食事をすることにした。
一つはもちろん最北端のマックで食事すること。もう一つはiPhoneの充電だ。24時間営業のマックはだいたい充電できる(出来ない場所もあるけど)。店内を物色し、見事コンセントにありつけた。iPhoneのフル充電まで粘る。
そうこうしていると、一昨日出会った道民チャリダーと合流。道民でも今日は寒いそうだ。いろいろと話をし、私はフル充電まで粘るので、彼は先に出発。私も後を追って出発。
風が強かった。漕いでも漕いでも前に進まない。ギアを一段落とそうとするが、落ちない。見ると、すでに一番軽いギアだった。時速は15キロでればいい方だ。突風が吹けば10キロを切る。昨日もこうだったっけ?一昨日もこうだ。あれ?その前はどうだったっけ?思い出すのは嫌な思い出ばかり。雨の神楽岡公園。土砂降りの美瑛。いつまで続くんだ、こんな道。
道の先は雲に隠れて見えない。今日はどこまで行くんだっけ?そうだ、"あの"宗谷岬を目指すんだ。


行くと、どうなるんだ?


生まれて初めて、走ることに疑問を持った。冗談で思うことはあった。けど、今は冗談ではない。
疲れて走れなくなることはあった。ハンガーノックを起こして動けなくこともあった。けど、心が走るのを拒否したのははじめてだった。
何もない道の途中で、歩道に自転車を止めた。体はまだまだ動く。けど、走れなかった。走りたくなかった。自転車の横に腰を下ろし、北海道の海をボーッと眺める。海は荒れていた。けど、海を見たいわけではない。ただ、視界に入ってきているだけだ。
こんな感情は初めてだった。子供の頃から、自転車で走るのが好きだった。梅雨や冬の間でも走れるように、ローラー台を買うほどだ。夏の夜の涼しい風が好きだった。冬の朝の、張りつめた空気が好きだった。自転車から眺める、すべての景色が好きだった。
そんな自分が、はじめて走るのを拒否したのだ。わけがわからない。自転車が嫌いなら、旅の移動手段に自転車を選ばなかった。自転車なら出来る。そう思って自転車にしたのだから。

無気力。はじめて体感した感情。まるで救いの手を待つかのようにじっと座る。どのくらい座っていたか分からない。少なくとも30分以上は座っていた。
そんなとき、通り過ぎるチャリダーがいた。当たり前に挨拶をする。宗谷岬に行くのだろう。そうだ、宗谷岬に行かないと。
ペダルが重かった。風のせいだけではなかった。前に進まないのが悔しかった。前に進めないのが悔しかった。必死にペダルを漕いだ。筋肉が悲鳴上げていた。普通なら無理せずに走るところだが、このときは無理をした。そうしないと、前に進めない気がしたからだ。
雨はさらに強くなる。寒い。辛い。最後の気力もだんだんと失せていく。そして、本当に動けなくなった。
心は疲れ、体はハンガーノック寸前だ。走れない。とりあえず休もう。けど、どこで?少し先の反対車線に、バス停の小屋が見えた。そこに自転車と一緒に潜り込む。小屋は狭く、自転車を入れるのに難儀した。中はぼろぼろで、あちこちから雨が漏れていた。けど、休むには十分だった。
ぼろぼろのベンチに座り込み、石のように動かなかった。曇ったガラスから、外の様子が見える。風は吹き荒れ、送電線が大きく揺れている。
そういえば、走っている途中送電線の横をヘリコプターが低高度で通りすぎていった。送電線の点検なのだろう。ヘリコプターか…。ジュラルミンの冷たい肌触り。鼻をくすぐるジェット燃料の香り。飛ばされそうなダウンウォッシュ。それらが急に懐かしく感じ始める。
宗谷岬まで残り10キロ。この天候なら、時間にして1時間か…。


強風に揺さぶられる小屋の中で、悩むこともなくただ座る。いつもならツーリングマップルでも開いて今後のことを考えるだろう。でも、今日はそれすらしない。ただ、座ったまま動かない。


旅も24日目。なるべく毎日前へ進むように心がけてきた。停滞するのが嫌だった。前に進みたかった。後ろを振り返ることなんか考えたくもなかった。でも、今日は前に進むのが嫌なのだ。停滞することも出来ないとなると、道は1つしか残っていなかった。




小屋から抜け出し、再び走りだす。進路は、「南」だった。







帰りは楽だった。ペダルを回した回数は両手で数えられそうなほどだ。そして、あっという間に稚内市外へ戻ってきたのだった。
初めて、引き返した。けど、心のどこかで安心している自分がいた。
再びマックで昼食を摂る。いつもは食べるのに苦戦する大きなハンバーガーも、この時はペロリと食べることができた。


この選択は正しかったのだろうか?


正しい?そもそも正しい旅なんてあるのだろうか。「楽しい」はあっても、「正しい」はないはずだ。


じゃあ、楽しい旅ってどんな旅?と聞かれると、良くわからない。はっきり言って迷っている。今は旅人というより、迷子だ。


迷子といえば、子供の頃、はじめて自転車に乗れるようになった頃を思い出す。自転車に乗れるようになると翼がはえたような気がして、あちこちに足を伸ばした。けど足を伸ばしすぎた結果、見事に迷子になってしまった。日も暮れ始め、涙目になりながらペダルを回し、偶然知った道へ出た。小さな旅を終え、すべての道は繋がっているんだと、子供の頃感動したものだった。それから、自転車で知らない道を走るを走るのが好きになった。これが私の自転車生活のはじまりである。


旅の楽しみって迷うことなのだろうか?できることなら迷うのは遠慮したい。けど、迷いが晴れた時の感動は、いいものである。




明日また宗谷岬を目指すのか。それはまだ分からない。明日も天気が悪そうだし、もう少し稚内にいるかもしれない。今は微妙な気持ちなので、こんな気持ちで宗谷岬を目指したくない。個人的には、宗谷岬に着いたら雄叫びを上げたくなるようなテンションで行きたいのだ。
明日も防波堤ドームかな?とか思いながら、今日も一日を終えるのだった。

(話の流れ的に稚内到着以降は端折りました。稚内で何したかは明日の更新参照予定)