21日目

秩父別キャンプ場〜朝日公園キャンプ場

走行距離 100キロぐらい

今日は天候に恵まれたこともあって、かなり進みました。オロロンラインは向かい風で、走るのに苦労しました。追い風だったらかなり気持ちよかったろうな。



夜に目が覚める。それ自体は珍しいことではない。が、最近は決まって2時間おきに起きるようになった。理由は簡単だ。
少し前に買ったイスカのエアピロー。ちょっと高かったけど快適な眠りに貢献してくれているのだが、買った初日からある問題に悩まされていた。それがエア漏れ。
だいたい2時間すれば枕として機能しないほどにエアが抜ける。漏洩箇所は特定していないが、たぶんバルブ。ダイソーの枕ですら一晩余裕で持つのに、なぜ持たない。たぶん不良品なんだろうけど、どうしようもない。やっぱり信頼のモンベルを買っておけば良かった。

6時起床。曇れば朝露も下りなくてテントの撤収も楽だね、と思っていたが、ばっちり快晴。フライはびしょびしょであった。しかしブルーシートの効果は絶大だった。フライさえ乾かせばいいので、撤収が楽。
そういえば昨晩テントの外で音がするなと思ったら、ライダーがテントを設営していた。朝になって初顔合わせ。
ライダーの方より先に出発。時刻は7時。朝は寒いくらい冷え込む。レインウェアで体温を調整。だいぶ進んだところで日も昇ってきて、気温も上がる。
橋を渡る際、暑くなってきたのでレインウェアを脱ぐことにした。脱いだウェアをバッグに戻そうと作業をしていたとき、うっかりポケットからラジオを落としてしまう。あっ、と思ったときにはラジオはアスファルトを跳ね、電池室カバーだけを残しあろうことか橋の下へ落ちていった。


ラ、ラジオーーーーー!!


返事がない!ラジオは無事なのか!?跳ねた方向から、運良く川には落ちていないようだ。落ちたであろう先は深い茂み。まだ助けられるかもしれない!急斜面を下り、捜索開始。少し探すが、見えるのは草。見つかるのか?だが、ラジオのない旅なんてもう想像できない。このまま見つからなかったら…。かえって買い換えの理由ができてラッキーだなんて思ってないよ。
そんなとき、運良くイヤホンの一部が見えた。それをたぐり寄せ、なんとかラジオの回収に成功した。だが、電池がない。ただの電池ならともかく、エネループだ。見つけないともったいない。
少し捜索して、なんとか一つは救出。だが、もう一つがどうしても見つからない。事件発生から30分は過ぎたろうか?惜しいが、ここは諦めよう。エネループ、君のことは忘れない…。
ラジオははじめ調子が悪かったものの、機能に問題は無さそうだ。が、イヤホンはダメになってしまった。その後仕方なく音楽観賞用のカナル式イヤホンを片耳だけ使って運用。くそう!音質が良すぎるじゃないか!ラジオってこんなに音質良かったの?これはもうちょっといい片耳モノラルイヤホンが欲しくなる。
その後は順調に進み、9時頃には留萌に到着。坂が無いので快調である。電気店に寄ろうかと思ったが、開店は10時。ちょっと待っていられない。でもここから稚内まで何もないエリアなんだよな〜。惜しみつつも前へ進む。しかし予想よりも早く留萌に着いてしまった。今日は天候は良さそうなので、進めるところまで進もう。時間に余裕があるので、当初の宿泊予定地だった黄金岬のキャンプ場を視察。
途中珍しい灯台があるらしいので見ていこうかと思ったが、遠くから見えないし、遠そうなのでやめた。灯台佐渡島でいっぱい見たのでおなかいっぱいです。
え?ココ?と思うほどのタダの芝。泊まらなくて良かった。しばしベンチ休憩。
休憩中に出会った老人夫婦と少し会話。最近ブログでは旅の途中に出会った人との会話は端折るようにしています。一日にたくさんの人と話すので、紹介していると文字数制限にすぐ引っかかってしまうからだ。今回紹介したのは、おじいさんの方が軽い痴呆だったからだ。
幼い頃、おばあちゃんっ子だった私は、祖母が好きだった。けど、大きくなるにつれ、そんな愛情表現も恥ずかしくなっていった。
そんな祖母が痴呆になった。祖母は痴呆になっても、最後まで私を私と認識してくれた。けど、私は祖母の通夜にも葬式にも、参列しなかった。どうしても外せない仕事があった。いや、あのときの同僚たちなら、なんとか私を参列させてくれたかもしれない。けど、その分同僚たちが苦しむ。連絡を受け取ったのは夜。通夜には間に合わない。私は、同僚たちに祖母が死んだことを隠し、仕事を続けた。けど、その日から食事ができないほど、体調が悪くなり、そしてそのことが気がかりとなり、ずっと後悔することとなる。見舞いに行ったとき、もっと話せば良かった。やっぱり仕事を投げ出しても、最後を看取ってやりたかった。
旅を終えたらどうするか。これは決まっていて、地元で働くことだ。家族に何かあったとき、すぐに駆けつけてやりたいのだ。そうしないと、一生後悔する。だから、この旅は最後の親不孝だ。そう思っている。
おじいさんは何度か同じ質問をしてくる。何度も、同じ会話をする。海風を肌に感じながら、おじいさんが満足するまで、ずっと話をした。

老人夫婦と別れ、北へ目指す。別れ際、おばあさんから餞別をいただく。お互い人生を楽しみましょう!


だが、この先の道は、決して楽しめるものではなかった。オロロンラインを通って宗谷岬を目指すのは、ライダーハウスで出会ったチャリダーたちの勧めからだ。「あそこは絶景だから見といた方がいいよ!この季節だと追い風だし走りやすいし」と、大絶賛の道だった。走って3秒で私が出した結論は


騙された!


だった。なにこの向かい風!しんどいってレベルじゃないぞ!道路に立ててある旗は文字が見えないほどばたつく。交通量が多く路肩も狭い。全然走りにくい。もしかして走りやすいって北から南ってこと?
風が弱まることはない。何もない平地なのに、速度は15km/hを表示していた。なんか悔しい。ということで、18km/hを下回ったら死ぬ、というルールを作って走行する。そのまま20キロ。さすがに筋肉が悲鳴を上げる。
小平の道の駅で小休止。時刻は12時。ペースはいいが、無理に上げているので足が持たない。ソフトクリームで体を冷やしていると、横に古い建物が。歴史ある建物に興味がある私は、入館料を払って入館しようとする。券売機でチケットを買い、受付の人の案内で入るそうだが、受付が見あたらない。あれ?どうすればいいの?結局見つからず、入館料は募金と自分の中で完結させた。
そしてその後も向かい風。休憩してもあまり足は回復しなかった。風は強くなっており、ギアも気づけば一番軽いギアを回していた。…平地だよね?
だが、風が強いだけあって風力発電のプロペラは勢いよく回っていた。おーすげー!っと向かい風を浴びながら鑑賞。さすがに風力発電所を設置するだけあって、ここの風は特に強い。体力はぐんぐん奪われる。丘に上がった方が見えるらしいが、もうそんな気力は無い。
海沿いルートを抜け、道路は山の方へ向く。もうすぐ道の駅「風Wとままえ」だ。そこで休憩しよう。
道の駅の前に立ちふさがる坂。向かい風とのダブルパンチだが、全力ダンシングで登る。登り切ると警官がいて、こっちおいで、とされる。あれ?なにか悪いことしたかな?と思ったら、交通安全を呼びかけていて、交通安全のフラッグをもらった。やった!ホクレンフラッグは手に入らなかったが、いい戦利品だ。
その後無事道の駅へ。温泉が併設、というか宿泊施設のようだ。宿泊予定地までもうちょっとあるが、ここで入ってしまおう。
そして入浴。風呂上がりにカップアイスを食べ、休憩所でまったりここまでのブログの記事を書く。3時前に来てもう4時半か。そろそろ行かないとな。
外に出てみると、空の様子が様変わりしていた。黒い雲が広がり、風は冷たい。

あ、これは降る。

進み始めると寒い!レインウェアを着ようと思ったが、目の前には坂。すぐに暖まりそうだ。実際その後は下りと坂の繰り返し。5時ジャストにキャンプ場につき、その頃には体はホカホカだった。
本日のキャンプ地は朝日公園。キャンプ場となっているが、自称キャンプ場と言った感じで、外見は田舎の小さな公園そのものである。とりあえず水さえ確保できればどこでもいい。しかし意外と設備は整備されており、地元の人が掃除しているのだろう。
雨が降りそうなので、キャンプ場ではないが公園内の東屋にテントを設営。ベンチとテーブルがたくさんあり、テントを設営するスペースは狭い。風をもろに横から受けることになり、さらにペグも打てない。ペグの代わりに重石やロープを使い設営完了。しかしテントの下がアスファルトなので、寝るとき痛そうだ。
夕食はどうしようか?近くにセイコーマートがある。とりあえず買っておいたあんパンを食べ、「最近贅沢してるな」ということに気付き、自炊することに。外が暗くなってきていたので簡単なものにしよう。レトルトの卵粥を暖め、そのとき出来たお湯で味噌汁。
調理中にはすっかり暗くなり、ヘッドライトを使いながらの調理だった。付近に明かりはなく、月も星も雲の向こうだ。木々の向こうにうっすら明かりが見える程度だ。つまり、真っ暗。だいぶキャンプ慣れしているが、暗闇はやはり怖いものだ。早々にテントに戻り、今日は早めに寝ることにした。
ブログを書いている7時現在では、まだ雨が降っていない。が、さすがに今夜以降は雨が降りそうです。明日の目的地は富士見のあたりを予定しています。